宗教アカウンタント通信No.101


〇新元号


〇新元号

 新たなる元号での時代が始まりました。

 ご存知のように新元号「令和」は、万葉集の「時に、初春の令月にして、気淑く風 和(やわ)らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」という巻 第五の序文に由来します。  天平二年(730年)の正月に、当時「太宰師(大宰府政庁の長官)」だった大伴 旅人が大宰府で開いた「梅花の宴」で詠まれました。

 都から遠く離れた福岡の地で、もともと外来の花であった梅を愛でながらの酒宴、 しかも主催者が当時都落ちしていた旅人、という、なんともユニークな宴ではあった ようですが、その宴のことを詠んだ序文が1300年の時を超えて今、新たな時代を 表す言葉のよりどころとなる。言い知れぬ感動を覚えます。

 もちろん「政府として元号の使用を強制するものではない」という声明は出ていま すし、「国民こぞってお祝いすべき的な風潮はいかがなものか」的なコメントもネッ ト上では見られますが、個人的には「元号」なるものはこの国の伝統そのものとして、 未来永劫にわたってきちんと継承していくべきものではないかと、強く感じました。

 5月4日に皇居の一般参賀に全国から駆け付けた14万人の国民も、この国の政治 や体制に対して思うことはあれど、それらと別の次元で皇室への敬意を行動で示した ことは大変に素晴らしいことであったと感じました。

 我々僧侶と元号も、切っても切れない関係にあります。お位牌も、墓石も、過去帳 も、年代はすべて和暦で書かれています。西暦で記録するなど思いもつきませんし、 おそらく今後もずっと、寺院内における檀信徒さんに関する記録は和暦でなされるの であろうと思いますし、そうでなければならないとも思います。そして何よりも、新 たなる元号が平穏な時代として後世に語り継がれることを、切に願います。  万葉集には山上憶良の「貧窮問答歌」も収められていますが、民が貧しさにあえぐ 世など二度と来ぬよう、ひとりひとりが、周囲の人にできるべきことをしていく。仏 教でいう「利他」の思想を、今こそ、この国に広めるべきではないかと、感じていま す。


(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)