宗教アカウンタント通信No.108


〇比叡山延暦寺参拝


〇比叡山延暦寺参拝

 

 先日宗派の用事で京都に出向き、その足で天台宗の聖地、比叡山に行ってきました。

 

 我々、真言宗の僧侶にとって、天台宗は同じ密教系の宗派といいながら、近いよう で実は遠い存在といえます。我々の宗派の開祖である弘法大師さまと何かにつけて比 較対象となる伝教大師(最澄)のおひざ元となれば、複雑な思いが浮かびこれまでは 足が向かず、正直、今回が初めての比叡山訪問でした。

 

 地図で見ると京都からさほど離れていなかったのですが、それはあくまで平面図の 上での話で、比叡山はまぎれもなく標高848メートルの「山」でした。ロープウェイ を降りてから結構なアップダウンの山道を20分ほど歩いて西塔に着き、ほとんど拝観 客のいない釈迦堂、法華堂を参拝。平日の午前中でしたが職員の方もおられない様子 で、自分と向き合う本来の行(ぎょう)はこのような空気の中で行われるのだろうと、 逆にリアリティを感じました。

 

 その後はバスで東塔に回りました。こちらは大講堂、文殊楼などの施設に観光客が 大勢見えておられました。根本中堂は改築中で外からその威容は拝見できませんでし たが、中では不滅の法灯が灯っており、法然、親鸞など数々の名僧を生み、時には為 政者に焼き討ちされながらも懸命にその命脈を保ってきたこの山の、1200年に及ぶ歴 史の尊さを感じました。国宝殿では三体の毘沙門天立像はじめ数々の仏像が静かに出 迎えてくださり、身が引き締まりました。

 

 我々の宗派の本山は京都の街中(まちなか)にあって、それはそれで便利ではある のですが、やはり心平らかに読経をし、印を結び、教学を学ぶ場所としては一切の刺 激から隔絶されたところが望ましいのではないだろうか、と、改めて感じました。

 

 筆者も真言宗のある宗派の寺院を経営しているものとして、密教という同心円の中 に存在している古刹を訪ね、その歴史を肌で感じ、開祖の教えを知ることは大きな意 義がありました。

 

 例えば、最澄の有名な言葉「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」。社会の隅を照ら すような仕事をしている人こそ、国宝と呼びべき存在である、という意味です。労働 も含めた価値観が多様化する現代において、個々人に求められていること、それは、 それぞれが身を置いた場所で全力を尽くし、社会に貢献することではないでしょうか。 自らの宗派の宗祖を無条件に崇めることなく、幅広く名僧の教えを学び、理解し、世 間に広め、あわせて僧侶としての徳を高めていかねばと、誓いを新たにしました。

皆様よいお年を。


(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)