宗教アカウンタント通信No.112〇諸行無常〇諸行無常 「新型コロナウイルス」という、見えない敵の猛威に世界中が巻き込まれています。 わが国でも、会社や学校に行く、買い物に行く、スポーツをする、 映画やコンサートに出かける。そんな普通の日常を送ることすら 困難を覚える日々が続いています。人々の心も次第に疲弊し、 ささくれ立っているように感じます。 こういったときに、宗教者は本来、積極的に行動して、人々の心の安寧を 保つお手伝いをしなければならない。筆者はそんな風に考えています。 例えば、近年発生した大規模な震災や豪雨の際は、 影響や被害の「ピーク」が最初に来る、という特徴がありました。 したがって、直後に現場に駆けつけることはできないまでも、 その時期が過ぎ、被災された方の生活がやや落ち着いた時点で 現場に伺って、僧侶や牧師、神という宗教者の立場で お話を聞かせていただく、といったアプローチを取りました。 ところが今回は、いつになったら疫病の流行がピークに達して、 いつになったら被害が収束するのか、普通の生活に戻るにはどれほど の期間が必要なのか、が、まったく見えません。加えて、日常生活に 十分気を付けていても感染するリスクを否定できません。 そんな状況の中で、「仏教的なお話に悠長に耳を傾けている余裕など ない」という方も多いのではないでしょうか。 あるいは、「僧侶の話を至近距離で直接聞いて感染したらどうするのか」 と思われている方もおられるかもしれません。 実際に、ご葬儀の場で参列者の方が感染した例も報告されています。 涅槃経という経典の中に、皆様もご存じの「諸行無常(しょぎょうむじょう)」 という言葉があります。万物はすべて移りゆくもので、いつまでもその姿を 保っていられるものではない、(だからこそ、物事に執着するな)という ほどの意味です。 近年、AI(人工知能)をはじめとするIT(情報工学)の飛躍的な進展により、 それまで我々がしていたことの多くをコンピューターが 代行してくれるようになりました。自分たちの国で開かれる五輪についても この国の多くの人々は歓迎し、その日が来るのを楽しみにしていました。 我々はつい数か月前まで、そんな「元気と希望にあふれた時代」を 謳歌していたはずです。 昨年末に控えめに報道されていた中国・武漢発の「原因不明の肺炎患者が出現した」 というニュースも、みな、対岸の火事のように眺めていました。 そんな時が、まさに「常ならず」であった、という事実を、 我々は今、身をもって感じています。新たな元号を抱いて始めて迎えた今年の 年初に、いったい誰が、今の状況を想像しえたでしょうか。 しかしながら、諸行無常。疫病が猛威を振るう季節も、 いつまでも続くわけではありません。 世界中の人々の叡智と努力により、根絶は難しいまでも、 いつか特効薬が発明され、必要な人に施され、ウイルスとも穏和に共存できる 時期が来ることと思います。 まだまだ深刻な状況は続きますが、仏教には「忍辱(にんにく)」と いう修行があります。何が起きても動じず、耐え忍ぶ、というほどの意味です。 私たちひとりひとりが、信頼できる情報をしっかり収集し、ご自身や ご家族のみならず、この星に暮らす全ての人の立場にもなって、 すべきこと、すべきでないことをきちんと理解したうえで、耐えるべきことは耐え、 力を合わせてこの難局をしのいでいきましょう。 一日も早く、平穏な日々が戻ってまいりますように。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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