宗教アカウンタント通信No.117〇仏教と戦争〇仏教と戦争 今年は戦後75年ということで、さまざまな回顧、総括が主にメディアの手によって行われました。 ご存じの方も多いと思うのですが、特に日中戦争から太平洋戦争と突入していく昭和12年以降において、 各宗派はおしなべて体制に迎合し、政府の意向に従いました。 末寺レベルでも、金属製の梵鐘を供出したり、その土地で武勲のあった軍人の顕彰碑を建てたり、 檀徒から寄付をとりまとめて国に寄付したり、従軍僧として出征軍人に戦争の意義を説いたり、などと、 完全に国の方向を後押しするベクトルで動きました。 わずかに存在した、戦争に異議を唱える、いわゆる反戦僧は、社会のみならず所属の宗派からも指弾され、 排斥されたといわれています。 もちろん、戦後のしかるべき時期に、各宗派はそれぞれ声明を出していますが、 どの宗派も似たような、いわば定型的な表現で、一定の反省を行うにとどまっています。 そんな中、戦後75年の節目のこの夏に、国内各宗派は特段の声明を出すことはありませんでした。 唯一、曹洞宗が宗務総長(事務方のトップ)の声明として「戦後75年を迎えて」という発表をしました。 同宗派のWebサイトでも公開されています。その中に、このような一節がありました。 宗門は当時、国家政策や世論の流れに無批判に迎合してしまうことで戦争に加担してしまいました。 この事実を深く反省し、戦争のない世界の構築と世界平和の永続のために果たすべき 仏教者の役割と責務を常に見据えて、二度と同じ過ちを繰り返すことがないよう、 重ねて決意を新たにし、行動していかなければなりません。 一定の評価はしつつも、もう一歩踏み込んだ言葉があってもよいのでは、と思われた方も 多いのではないでしょうか。 各宗派にはそれぞれ歴史の研究機関が存在します。戦時中の宗派の思想や行状について、 それぞれに研究は進めているとは思うのですが、なかなか表面には出てきません。 今、新型コロナウイルスの感染拡大を含むさまざまな要因により、超大国はいがみ合い、 心無い言葉を投げつけあい、人心も荒みつつあるように思えます。 このような時だからこそ、宗派としても、個々の宗教者としても、人心の融和に 心を砕くとともに、国や世界がおかしな方向に向かって行っていないかをチェックし、 必要があれば声を上げる。 そんなことが求められているのではないか、と感じます。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
|