宗教アカウンタント通信No.121


〇宗教者の今後についての私見


〇宗教者の今後についての私見

謹んで初春のお慶びを申し上げます。

今回は例年にない少人数でお正月を迎え、過ごされた方も多いかと思います。
新型コロナウイルスの感染拡大は依然として止まず、世相も落ち着きません。
そして我々宗教者の世界では、ご葬儀に関して昨春以降、「できるだけ少人数で、 密の状態を作らぬように、ご遺族の感染をとにかく防ぐように注意して行うべし」 という方向性が各宗派から示され、末寺も基本的にそれに従っています。

とりわけ、感染された方の火葬に関しては行政から「原則として遺族等が遺体に 直接触れさせないようにし、遺族が強く望む場合は必ず手袋及びマスクを着用させること」等の 指針が示されるなど、徹底した対策が取られています。

この「生命至上主義」とでもいうべき方向性は社会に抵抗なく受け入れられ、 「(亡くなった方はさておき)生きている人を感染させないように」という共通認識のもとに 「ご葬儀の簡素化・ダウンサイジング」という流れが定着したように思えます。

具体的には、お通夜の省略、あるいは少人数で僧侶も呼ばない葬儀の執行、等が増えており、 この流れはとりもなおさず、宗教法人の経営にマイナスの影響を及ぼします。 そして相変わらず、宗教者、特に僧侶は「ご葬儀やご法事の時にお経を拝んでもらう人」という イメージから脱却できていないように思います。

戸松義博・全日本仏教会理事長は、先日専門誌で以下のコメントをしていました。
「(寺院は)檀家さんと信仰共同体として教えで結びついているのか、 それとも違う要素で結びついているのか、違うならそれは何なのか、 そこを見つめなおさなければ先はない」正鵠を射ていると思います。

これを踏まえて筆者なりに宗教者の今後を展望すると、
・ご葬儀やご法事の際の『拝み屋』としてしか機能していない宗教者は、今後ますます社会的な地位の低下を余儀なくされるであろう
・したがって宗教者は『心を込めて拝み、ご供養すること』にプラスした、なにがしかの価値を身につけ、檀信徒さんや社会から評価されるよう、心がけるべきである
といったところでしょうか。

「拝む以外の価値」は、具体的には例えば「人々の漠然とした不安や悩みにきっちりと向き合って、 気持ちを穏やかにするお手伝いをする」というあり方が考えられると思います。
もちろん、これが唯一無二の答えというわけではなく、ひとりひとりの宗教者が、自身の強みをしっかり意識し、 それをブラッシュアップして『武器』として磨き上げ、それを掲げて人々に分け入っていく。
そういったところから宗教者に対する認識が高まっていくのではないか。そのように考えております。

どんな世の中であるにせよ、宗教者の最も大きな使命は「必要とされている人の役に立つこと」です。
「今、自分はだれのために、何をすべきか」を自問し続けていきたいと思います。


(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)