宗教アカウンタント通信No.124〇震災から10年〇震災から10年 2011年3月11日。筆者は埼玉県にある自分の寺で、原稿を書く仕事をしていました。 14時46分。突然地鳴りがし、縦に強い揺れを感じ、しばらくの間はテレビを押さえるのが精一杯。 揺れが収まったところで家の外に出ると、寺の本堂から瓦が落ち、石灯篭は崩れていました。 その後の一カ月はメディアで東北地区の甚大な被害の状況を目にして茫然とするのみ。 因果関係は不明ですが震災直後に茨城の叔父が亡くなったこともあり、しばらくは自分の周囲の対応に追われ、 さらに二カ月ほど経った頃、とにかく何かしなければ、と、 ある宗教者の団体が取材している被災地支援活動に参加し、福島で現地の高齢者の方との話をしました。 その後も気仙沼や福島に何度か伺い、高齢者の方とはお話をし、子供たちとはボードゲーム、カードゲームで懇親を深めました。 そうしているうちに、対象者さんのお立場に寄り添うためにお話を聴く、いわゆる「傾聴」のやり方をしっかり学ばないと、と思い、 東日本大震災をきっかけに創設された臨床宗教師の研修にも参加し、座学と実践の経験を通してノウハウを一通り学びました。 また、寺の住職としては、福島からお父様のご遺骨をもって避難されてきたご家族から、そのご遺骨をお預かりしています。 それでも正直なところ、ここ数年は東北への足も遠のいてしまい、被災された方々への思いは薄くなってしまっておりました。 そんな中で迎えた今年。震災後10年ということで、膨大なコンテンツが放送、出版されました。 総合的には、復興は少しずつではあるが進んでいる、人々も前を向き、新しい家族と新しい生活の形を作り上げつつある、といった論調が多かったように思います。 しかしながら、まだまだ復興は道半ばです。福島原発の廃炉に向けた作業は予定通りには進んでおらず、 仮設住宅から復興住宅に移った方々は周囲のご家族との交流の機会が減り、心身にストレスを抱え、結果的に悲しい最期を迎える方も出てきてしまっています。 このような状況において、宗教者がなすべきことは決して少なくないと思います。 10年は読点であっても句点ではない。何よりも、そこに生き、生活されている人が少しでもおだやかな、 笑顔で過ごす時間が増えるように、なすべきことを地道にしていこうと思います。11年目も、12年目も、20年目も。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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