宗教アカウンタント通信No.132〇葬儀と僧侶〇葬儀と僧侶 先日、(一社)お寺の未来総合研究所から「寺院・神社に関する生活者の意識調査(2021年6月実施)」が発表されました。 20代から70代の男女10,000人の中から「年に一度以上寺社にお参りする人」2,000人を抽出し、調査したものです。 この調査によれば「家族など近しい人の葬儀に僧侶の読経は必要ですか?」という問いへの回答が、「とても必要」15%、「比較的必要」32%、「どちらでもよい」22%、「あまり必要でない」21%、「全く必要でない」11%という結果でした。 「ご葬儀において僧侶の読経を必要と考えている人が半数以下」という、なかなかに衝撃的な結果です。 筆者が子供のころは、ご葬儀が発生したらまず葬家から菩提寺に連絡が行き、住職が葬儀社その他を差配し、多くの場合菩提寺かもしくは亡くなった方のご自宅でお通夜・ご葬儀を行う。そしてそこで住職が読経と法話を丁寧に務め、故人様との思い出を遺族および会葬者に語る。つまり、通夜葬儀のトータルコーディネーター、総監督であると同時にプレイヤーでもあった時代でした。 それがいつからか、「読経する人」という役割を与えられた人となり、さらに「その役、要らないんじゃないだろうか(呼ばなくてもいいんじゃないだろうか)」とまで思われ出し、「直葬(ちょくそう、もしくはじきそう)」という言葉まで生まれました。 数年前はAmazonの僧侶派遣サービス「お坊さん便」が話題になっていましたが、もはや派遣を望む声もかからなくなりつつある。そのような、僧侶にとっての負のスパイラルも想起される様相になっています。 異論もあります。ブロガーとして知られる四国在住のある住職は「旧来の人間関係が残る地方では、直葬は話題にもならず、檀家さんが増えている地域もある」と語っています。筆者が地方の寺の住職と話しても「僧侶のいない葬儀などあり得ない」という感想を聞くことがほとんどです。 しかしながら、安閑としていられる状況でないことは確かです。「お坊さんに読経してもらってよかった」ではなく、できれば「あのお坊さんに読経してもらってよかった」と思っていただけるご葬儀を務めるための努力を、我々は続けていかねばなりません。 長野県の臨済宗の寺の高橋卓志さんという僧侶(現在は住職を退かれています)は、ご葬儀にあたって故人の人となりを取材します。ここまでは大抵の僧侶が行っているのですが、彼の場合はそこからが違います。 まずその生涯を短い映像にまとめ、ご葬儀で流す。そして例えば理容師さんの葬儀では、理容店の椅子を寺に持ち込み、そこに座って読経しました。また落語好きの商店主の葬儀では、落語家を呼んで落語を演じてもらったそうです。 ここまでの演出を通常はできませんし、こういった手のかかったご葬儀を好まない方もおられるかもしれません。「それは葬儀社の担当ではないのか」と感じられる方もいるかもしれません。 しかしながら、そこには、手間と時間をかけて準備をし、全力でオンリーワンのお別れをお見せする、僧侶の「気概」のようなものが感じ取れます。筆者にはどのような「お別れの見せ方」ができるのか、考え続け、実践を続けていきたいと思います。 皆様、よいお年をお迎えください。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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