宗教法人アカウンタント通信No.138


〇神社という存在


〇神社という存在

先日、神社の禰宜(ねぎ、宮司さんの補佐役)の方とお話をする機会がありました。

東海地方のある県の、由緒ある神社(宗教法人化しています)を運営されている代表役員、つまり宮司さんのご長男の方です。ひとくちに「寺社」というくくりで語られることの多い神社とわれわれ寺院ですが、そこにはきわめて大きな違いがありました。

もちろん、今回。我が国の神社の方に統計を取ったわけではありません。あくまで個人的にお話を伺った結果、ということでご理解ください。

まず、住まい。我々寺院の人間は通常、本堂、大広間と繋がっている、もしくは同一敷地内にある、庫裏(くり)と呼ばれるエリアに寝泊まりしています。神社では、昼間は社務所とよばれる部屋に宮司さんや禰宜さんが詰めてお仕事や来客対応を行っておられます。

ところが社務所はいわゆる事務所であり、基本的に人が寝泊まりする場所ではありません。

神社の方は、神社の近くの一軒家やマンションにお住まいになり、朝、神社に通ってきて社務所に入り、夕方になると社務所を閉めてご自宅に帰っていく、そのような方が多いそうです。

朝から晩まで寺の中にいることが多い我々にとっては、いささかショッキングなお話しでした。その分、神社の方は住居費が発生するわけで、我々の方が恵まれている気もします。

ただ、我々は寺を離れたプライベートな空間がないとも言え、その意味ではオン・オフの切り替えは神社の方の方が容易であるようにも感じました。

次に、山門。多くの寺には山門があり、寺の人間が毎朝開門、毎夕閉門をします。

宗教者たるもの、来るものは拒まず、とは言っても、現実問題としてお墓荒らしやお賽銭泥棒は頻発しており、貴重な法人の資産を守る意味でも、開門、閉門はやむを得ないことと思っております。

一方、神社には、鳥居はありますが、山門はありません。鳥居に鍵はかけられませんので、24時間、入退場自由ということになります。セキュリティ面の危惧はありますが、拝みに来られる方を四六時中お迎えするという意味ではまさに人々の心のよりどころ、理想の姿といえるかもしれません。

次号に続きます。


(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)