宗教法人アカウンタント通信No.139〇神社という存在(2)〇神社という存在(2) 前回は、東海地方のとある神社の禰宜(ねぎ、宮司の補佐役)の方とのお話を受け、寺院と神社の違いについて考察してみました。今回はその続きです。 まず、年間の行事。今回お話を伺ったかたの神社では、正月三が日のいわゆる初詣の参詣客が数万人規模となり、お賽銭も上がり、お札、お守り等も相当のお申込みになるとのこと。 ところが、それ以外の日は、参詣者も少なく、お札等の申し込みもさほどではない。 つまり、少々誇張して言わせていただけるならば、「ほぼ、正月三が日の初穂料がほぼ一年の宗教法人の社入金となる」と言ってもいい状況だそうです。 特にコロナ禍以降は、お宮参りや七五三など、多くの日本人によって神社で行うことが基本となっている家族の成長記念イベントもめっきり減ったとのこと。今後の動向は不透明ですが、ことお正月の賑わいに関しては、総じて我々寺院より上で、神社は、人々の「新しい年のスタート」にふさわしい宗教施設と言えましょう。 次に、葬儀に対する考え方。われわれ僧侶は、檀信徒さんが亡くなると(もしくは生前に)お戒名をお授けし、葬儀の読経を通して亡くなった方に引導を渡して極楽浄土にお送りします(宗派によって考え方は異なります)。「葬式仏教」という言葉すらあるように、一般生活者の皆様にとって寺院を最も身近に感じるのがご葬儀、およびその後の法要や納骨であるといっても過言ではないと思います。 一方、神道においては、「死は穢れ」という意識が強く、亡くなった人を天国に送る慣習はありません。神道の葬儀である神葬祭(しんそうさい)は、亡くなった人が家を守る神様となるように祈る儀式と言えましょう。 神道では、すべての人は、この世での役割を終えると、神々の住む世界に帰り、ご先祖の魂とともに子孫を見守るものと考えられています。またすべての宮司さん・禰宜さんが神葬祭を執り行うわけではなく、「神葬祭を行う宮司さん」はある程度決まっているとのことです。そして通夜祭(仏教における通夜)、葬場祭(葬儀・告別式)、火葬祭(火葬場で火葬前に行う)、埋葬祭(遺骨を埋葬する際に行う)などの儀式が行われます。 さて、このように、寺院とは神社とはさまざまな違いがあることがわかりました。しかしながら、共通した課題、悩みも抱えています。 そのひとつは、何といっても世話役の高齢化と減少です。言うまでもなく寺院も神社も、昔から地域の方に支えられて運営を行ってきました。寺社の「総代」あるいは「世話人」と呼ばれる役職は、行事の際に準備から実施、後始末に至るまでのすべての段取りを住職や宮司と協力して行い、資金が必要な時は率先して寄進をする。そして、その地位に就くことが名誉である、とされた時代もありました。 しかし時は流れ、現在では多くの地域において「総代・世話人の減少、新たな引き受け手の不在」という現象が発生しています。 その理由としては、人口の少子・高齢化に加えて「日本人の宗教離れ」「『家』でなく『個人』中心への価値観の変化」といったところが大きいと思われますが、いずれにせよ、寺社が今後も伝統行事を行っていくうえできわめて深刻な問題です。 我々宗教者の側も客観的に事態を把握し、地域の皆様と話し合いを進めながら落としどころを探っていく必要がありそうです。 以上、二回にわたって寺院と神社の運営に関する類似点や相違点を考えてみました。 引き続き、キリスト教やイスラム、新宗教の方も含め、情報交換をしながら「令和の時代にあるべき宗教の姿」を模索していきたいと思います。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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