宗教法人アカウンタント通信No.142〇喪失〇喪失 先日、60歳の男性の方の悲報に接し、お通夜、ご葬儀を執り行ってまいりました。30年ほど前から存じ上げている檀家さんで、ご家族にも恵まれ、お盆やお彼岸の度に本堂に上がっていただき、奥様やお子様の話を楽しそうにしてくださっていました。この夏のお盆にお見えになったときに少しやせられていてややお体を案じていたのですが、以前から内臓に変調をきたしていたとのことで、9月上旬に旅立ってしまわれました。 一般企業にお勤めされており、定年後の再雇用で気持ちを新たにされていた矢先の悲報。ご葬儀の打ち合わせに来られた際のご家族の方のお悲しみのご様子もたいへんなもので、いかなる言葉をおかけしたらよいか、考えあぐねておりました。 近しい人を喪った方の悲しみに寄り添うのがいわゆる「グリーフケア」で、それを含む広範な「死」の問題に取り組むのが「死生学」です。筆者も宗教者としての役割を持っている以上、死生学に関する書物はそれなりに読み、檀信徒さんにおかけする言葉も複数持ってはいたのですが、今回はそれらの言葉ではご遺族の悲しみに寄り添うことは困難であると感じていました。 そんな時に目にしたのが「喪失学」という言葉。「喪失とは何か」という、よりピンポイントに「喪うこと」について掘り下げた学問のように思えました。ただ現状は、学問というより、関西学院大学人間福祉学部の教授をされている坂口幸弘氏の「喪失学 『ロス後』をどう生きるか?」(光文社新書)などの著作や研究における、氏の論考という意味合いが強いようです。 さて、氏によれば「人生は失うことばかり」です。ペットの死、失恋、離婚、心身の機能の喪失、肉親の死、そして最後は自らの死。喪失を経験しないで済ませることは不可能であり、その際に気持ちが落ち込むのは当然。また、そこから立ち直るための万人向けの方法など存在しない。あえて言えば「自分を許す」「人に頼る」「体を休める」「体験者同士でつながる」などの対策は有効かもしれないとのことです。 筆者もかつて、ご家族を自死で失った檀家さんからのご相談を受け、ある方を頼って「自死遺族の会」を主宰しておられる高僧の方をご紹介いただき、檀家さんをその僧侶さんに引き合わせたことがあります。多少時間はかかりましたが、その檀家さんは今はお気持ちも立ち直り、元気に生活しておられます。その僧侶の方は、当該檀家さんのお話をとにかく丁寧に聞き、言われることをすべて受け止めて「それは大変でしたね」「お悲しみがいえないのは当然です、ご自身を責めることはありません」のような物言いを徹頭徹尾されていました。我々宗教者の立場として「相談者さんのすべてを受け止める」という覚悟が必要なことを改めて感じました。 さて、本書 「喪失学 『ロス後』をどう生きるか?」 の中には、英国教会の神学者、スコット・ホランド氏の「さよならのあとで」(夏葉社)という書籍の「あとがきにかえて」という章に記されている言葉が掲載されています。きわめて美しい言葉の数々で、大切な人を亡くされた方に送る言葉が紡がれており、筆者も感銘を受け、「この言葉があれば、いかなるご遺族もやがては立ち上がることができるのではないか」と思い、冒頭の男性のお通夜の際にその言葉を紹介させていただきました。ご興味のある方は坂口氏の同書、もしくはホランド氏の「さよならのあとで」をご一読ください。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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