宗教法人アカウンタント通信No.146


〇死の個人化


〇死の個人化

なんともやるせない言葉が、世の中に生まれてきました。

おおよそ、「亡くなる人が自分の意思で死の過程や死後の処理をどうするかを決める風潮」という文脈で語られている言葉のようですが、さまざまな問題をはらんでいます。

エンディングノート。すっかり一般的になりましたが、終活を考えるご本人が葬儀や墓所についての希望を記すものです。とはいっても、エンディングノートの主目的はあくまで家族への感謝の言葉や財産の明細を文字にすることだと考えます。

ご葬儀や墓所についての当人の意向は踏まえつつも、万一の際にはご遺族が葬儀社や菩提寺と連絡を取り、主体性を持って丁寧に故人を送る、それが一般的な流れであると思います。

昨今の流れは、どうも「当事者が決めておく部分」が次第に大きくなり、お子さんや親族等の周囲がほとんど何も考えないままその日を迎える、そして、「家族だけで質素に葬儀を行ってほしい」「宗教者を呼んでの葬儀は要らない、火葬だけでよい」などと、できるだけシンプルな傾向が好まれるようです。

もちろん、「葬儀には宗教者を呼ばなくてはいけない」などという法律は存在しませんし、故人の送り方はご遺族それぞれで、他者が言葉をはさむ筋合いのものではありません。ご本人の意思は意思で、尊重されべきものと考えます。

しかしながら、宗教者として様々な方のご葬儀に立ち会う中で、「一定の手間をかけて故人にお別れを告げる時間と空間」がいかに大事なものであるか、筆者は毎回実感しています。

「今までそこに居た人を、別の世界に送る」という儀式について、遺された方たちは今一度、慎重に、丁寧に考えて欲しい、と率直に思います。

国際派女優としても名をはせた女性が昨年の7月、都内の病院でひとりで亡くなりました。69歳でした。

報道によれば、亡くなった直後、区役所などが彼女の親族へ連絡をしましたが、遺体の引き取り手はなく、結局、居住区が2週間ほど遺体を保管した後、8月に荼毘に付したそうです。その後知人の方が遺骨を引き取り、ご両親の眠る墓所に埋葬されたそうです。

このような事例は「無縁遺骨」と呼ばれ、自治体が費用負担して火葬を行うケースが年々増えているそうです。核家族化、少子高齢化、生涯未婚率の高まりなどの影響もあり、ある程度避けられない潮流ではあるかもしれませんが、疎遠になっているご家族であっても月一回程度は連絡を取り安否確認し、何かあった際には助け合う、単身の方はご近所の方とある程度仲良くなっておき、何かの際には助けてもらうよう頼んでおく、そんな社会になっていくことを祈ってやみません。


(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)