宗教法人アカウンタント通信No.153〇お盆とお施餓鬼〇お盆とお施餓鬼 今年もお盆、お施餓鬼の時期が終わりました。 ご承知の通り、令和元年春以降、新型コロナウイルスの蔓延により、不要不急の外出を控えるようにという行政の要請、また仏教界でも各宗派とも「『密』の状態を生じさせるような大勢の集まりは控えよう」という方向性を出しておりました。この4年間、寺に見える檀信徒さんとも最低限のやりとりを行うにとどめ、結果、ご葬儀、ご法事以外の直接的なコミュニケーションは激減しておりました。 したがって、今夏のお盆、お施餓鬼は実質的に4年ぶりの行事となり、各寺院とも以前の運用を思い出すのに苦労する結果となりました。特に、ご自身の先祖のみならずすべての御霊を供養する「南無有縁無縁一切精霊」あるいは「三界萬霊」というお題目をかかげる筆者宗派の「お施餓鬼」は、決して大きくない拙寺のレベルでも以前は100人を超える檀信徒さんが本堂に入られ、近隣の組寺の住職さんらと筆者、筆者の長男で大々的な法要を行う、年間で最も大きなイベントでした。(地域や宗派によっては5月など、お盆とは離れた時期に開催されることもあります) 昨年までの4年間は「密」を回避するために組寺の御住職を呼ばず、本堂には総代さん、世話人さんだけに入っていただく、という簡素な運用を行っており、事前の準備も当日も大幅に事務負荷が軽減され、言ってみればやや落ち着いた時期であったのですが、今回久々の本格開催となり、案の定、さまざまな小さなミスを生んでしまいました。それでも当日、80人ほどの檀信徒さんが続々受付にお見えになり、笑顔を見せて下さる姿を拝見して、胸が熱くなりました。 前回のコラムで書いたように、仏事にも「デジタル化」の波が来ており、フェイスtoフェイスのやり取りにさほどの重みを感じなくなっていた自分も正直いたのですが、大勢の檀信徒さんが本堂に入られ、こちらの眼を見て真剣に話を聞いてくださる時間は、何よりも大切なひとときであると、身をもって感じました。 今年の7月、8月のお盆の時期には久しぶりに大勢のお子さんが親御さんに連れられ、墓所に花をお供えになっていました。おそらく「お盆だからお墓参り行くよ」という親御さんの言葉に素直に従って来寺されたのだと思います。そこにはもっともらしい「お盆にお墓参りをする理由」などは要らないと思います。まず、お彼岸やお盆には家族でお墓参りをする。墓参の意義はもう少し大きくなってから大人に聞くなり、本を読むなりして学べばよいと思います。 お墓参りという風習が、この国の人々にずっと継承されていくことを、願います。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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