宗教法人アカウンタント通信No.159〇僧侶のワークライフバランス〇僧侶のワークライフバランス 先日、ある僧侶の専門誌に、「悩み相談の電話を24時間受けている住職」の記事が掲載されました。 ある時は23時過ぎに医師から「手術した患者が亡くなった、どう思われますか」、またある時は「結婚相手の不倫を知った娘がビルから飛び降りようとしている」などの相談が。前者の相談に関しては「あなたが一生懸命やったのならそれでいいと思う」と対応し、後者は教えられた住所をカーナビに入力してすぐに現場に駆け付け「結婚相手の正体がわかってよかったやないか、冷静になれ」と諭して、ことなきを得たそうです。筆者のような凡庸な僧侶にはとても真似のできない、体当たりの対応で、「これこそ宗教者の鏡、理想形であろう」と感じました。 ただ一方において、特に傾聴やカウンセリングに注力している宗教者の間で昨今話題になりつつある、「僧侶のワークライフバランス」の議論と対極にある住職さんだな、という思いも残りました。具体的には、人に寄り添う傾聴などの活動に取り組む中で宗教者のバーンアウト(燃え尽き)の事例が発生しており、この対策として以下の提案がなされています。 ・枠を守る 時間の枠、場所の枠を決める。安息日を設ける。オン・オフを分ける。 ・多様性を保つ いろいろな世界に生きる。友人を保つ。自然に帰る。 ストレス解消法を実践する(座禅、音楽、スポーツ等) ・無力と向き合う 「人の魂を救うことは難しい」「死にたい人を止めることは難しい」「マニュアル的な技法は有効でない」等、一定の割り切りを持つ。 筆者も傾聴に取り組んだ経験があるので理解できるのですが、使命感に燃えて熱心に相談者に対応される宗教者ほど相談者に厚く信頼され、昼夜を分かたず電話がかかってきたり、アポイント無しでいきなり寺に訪ねてこられたり、といった事態を招く傾向にあります。信頼される宗教者であること、何かあったときに真っ先に相談してもらえる存在であること、はきわめて大事な目標、ある種の到達点ではあるのですが、現実においてその代償として心身の不調をきたしてしまう宗教者もいることもまだ事実です。その先には「悩みを抱えている人が、この世で最も信頼できる存在を失ってしまう」という事態すら想定されます。 安易に答えが出る問題ではありませんが、「導く人・導かれる人」のような単純な図式でなく、相談者が自分で走れるように、時には寄り添い、時にはほどよい距離感を保ちながら伴走していく、そんな心構えが大事なのではと思いました。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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