宗教アカウンタント通信No.57

○戦後70年、そして安保法制に関する宗教者の立ち位置に思う


○戦後70年、そして安保法制に関する宗教者の立ち位置に思う

この8月は戦後70年という大きな時代の節目を迎えたこともあり、太平洋戦争の 惨禍を振り返り、不戦の誓いを新たにする特集が各メディアで報じられていたよ うに思います。その多くは、良識ある政治家もメディアも軍部の暴走に歯止めを かけ得なかった当時の世相を現代に重ね合わせ、集団的自衛権の確立と共に自衛 隊の活動範囲が広がっていくことに懸念を示している論調です。これまで政治的 なステートメントを出すことが珍しかった宗教者や宗教団体からも相次いで声明 が出されました。 中でも印象に残ったのは、ある新聞に掲載された、花園大学の学長や臨済宗妙心 寺派の管長を務められた河野太通師のコメントです。 「『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、生死岸頭において大自在を 得ん(臨済禅師の言行集の一節)』。本来は『執着を離れたところに真の自由が ある』との意味なのに、戦時中の教団はこれを国体に都合よく解釈し、軍部の思 いを遂げる後押しをした。敵を壊滅させ、思いのままの境地を得る。戦場は絶好 の禅の道場だ、と。そんなものは禅でもなんでもない」 師は7月末に花園大の教員から「安保法制反対声明の呼びかけ人になって下さ い」と請われ、「今か今かと待っとった」と応じたそうです。筆者の宗派は禅宗 ではありませんが、この話を聞いて、心がすっと落ち着きました。 もちろん、宗教者であれ一般生活者であれ、何人もその言論のベクトルは基本的 に自由です。しかしながら、この穏やかならざるご時世にあっては宗教者として はなによりも、「他者に対する慈しみ」をまず考えたい。そしてそれは、まず口 より心、言葉より気持ちで人や社会の安寧を願うこと。すべての生きとし生ける ものを愛すること。ダライラマ法王14世は、ある雑誌のインタビューに答えて 「平和とは心の内から生まれるもので、文書で宣言するものでも武力で勝ち取る ものでもない。まず何よりも心のレベルの武装放棄が必要です」と語っています。 SNSやブログの普及によりすべての人が自分の意思を自分の言葉で世界中に発信 することが可能になりましたが、むしろ我々は安易に言葉に頼ることなく、まず は自らの心、気持ちをしっかりと確認し、その気持ちをもって他者と接したい、 そのような思いを新たにしました。


(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)