宗教アカウンタント通信No.62

○お坊さん便


○お坊さん便

amazonで「お坊さん」と検索していただくと、 [お坊さん便] 法事法要手配チケット (移動なし) 35,000円という商品が出てきます。 「ご自宅・お墓などに出向き法事法要(読経・法話)を行う僧侶を手配するサービスです。 バリエーションを選択の場合は戒名の授与を手配可能です」という説明まで載っています。

基本的にご葬儀やご法事の際に我々僧侶がおとなえする読経やお話しする法話 のお礼はお布施というかたちで、お気持ちとしていただくもので、そこに定価 という概念はまったく存在しません。我々の言葉によって気持ちが救われたり、 心が洗われたりした、ということであればそれを金額という形で還元していた だく、というだけです。 したがって今回のサービスには驚くばかりであり、全日本仏教会が米国amazon本社に 中止を求めたのも当然であると考えます。

先日のNHKの「特報首都圏」という番組でもこのサービスが取り上げられて いました。驚くべきは「明朗会計でわかりやすい点が評価できる」などとサー ビスを肯定する一般生活者の声が少なからずあったこと、 また、今回のサービス主体である「みんれび」という会社に僧侶からの問い合わせが 多数寄せられており、登録する僧侶は一ヶ月で100人を超えている、という事実です。

前者からは「宗教者への布施さえも経済社会の構造の中に組み込まれている現 実」を改めて感じます。我々は平素、ご法事やご葬儀の際に檀家さんから「今 回はお布施はいかほどお包みすればよろしいでしょうか」と聞かれますので、 「お気持ちで結構ですが、○○円から○○円を目安にお考えいただければ」と お答えします。もちろん、経済的な事情から個別にご相談を受けてご配慮させ ていただくこともありますし、目安として提示した以下の金額をいただくこと もあります。それがお布施というものであり、社会のシステムがいかに変容し ようとも、宗教者として守っていかなくてはいけない基本線であると思ってい ます。

後者については、宗教法人の経営が危機に瀕しつつあるという状況の表れ、と 解釈します。檀家さんからいただく法事収入だけでは経営がたちゆかない、定 額だお気持ちだなどと考えている余裕もない、そこで新たなご縁、収入源を求 めて「みんれび」に僧侶として登録、という思考回路でしょうか。その発想が そもそもけしからん、などと偉そうに語るつもりは筆者にはありませんが、願 わくは宗教法人の経営については別の角度から見直して、SNS等を利用して 自前での情報発信を積極的に行うなど、既存の僧侶派遣サービスに乗る以外の 形で動いていただければと思わずにはいられません。

最後に、行わなくても法に抵触することのない、ひたすら気持ちの問題である 「ご供養」なる儀式について、定額制であるか否かを問わず、宗教者込みのサ ービスをオーダーしようという意思を持っている一般生活者の方が少なからず おられる、という事実を改めて噛みしめ、我々は自らの存在意義を改めて認識 し、気を引き締めます。それとともに、「わかりにくい」「不透明だ」と言わ れることの多い「お布施」について、また「相談しにくい」「敷居が高い」 「偉そうだ」と言われる僧侶や寺院のあり方についても、我々は自らを省みて 研鑽を積み、改めるべきは改めていきたいと考えます。


(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)