宗教アカウンタント通信No.63

○送骨


○送骨

また耳慣れない用語が出てきました。熊谷市の見性院・橋本住職などによる試 みです。同氏は世話人たちの反対を押し切って2012年に檀家制度を廃止。 「旧檀家は寺に葬儀や法事を頼まなくてもよい」「住職は旧檀家以外の葬儀や 法事も行う」「墓地を檀家以外にも(宗旨や国籍なども問わずに)分譲する」 「寄付、年会費、管理費などは一切ない」という画期的なシステムを導入。 つまり、良くも悪くも旧習に縛られない、ドラスティックな寺院改革を進めて きた人です。これらの改革についてのコメントは今回は控えます。

そして昨夏、「送骨サービス」としてゆうパックでの焼骨の受け入れを始めま した。料金は前払いで、永代供養料として基本料3万円(送料3,000円は 別途)を同院の口座に振り込むと、梱包材や段ボールなどの「送骨パック」が 届けられ、それに遺骨と埋葬許可証を同封して見性院に送ると同院の永代供養 墓に納骨されます。

利用者としては、廉価である、墓所まで出向いたり読経を聴く手間が省ける。 さほど縁のなかった近親の埋葬などには適している、という意見が聞かれます。 また、住人が亡くなったアパートの大家さんなども、遺骨の送付先として評価 しているようです。またゆうパックの競合であるヤマト運輸は、専門誌によれ ば「代替の効かない一点ものの商品は輸送を受け付けない」とのスタンスを取 っているため、遺骨の配送は断っているようです。

さて、このサービスについて感じる違和感のひとつは「遺骨の墓所への持ち込 みを業者に外注する」、もうひとつは「納骨の儀式に参列・同席せず、宗教者 に完全委任する」というスキームでないかと思います。本来、親・祖父母・兄 弟などの親族の遺骨を墓所に納める行為は、故人の足跡や人となり、功績を振 り返り、ご先祖様の待つ浄土にきちんと到達できるように、心を静謐に保って 願い供養するものであり、そこに要する時間や距離の移動、感じる遺骨の重み も含めて「納骨」という儀式を形成していると、筆者は思っています。したが って、その大部分を遺族・関係者が放棄している今回の「送骨」に関しては、 懐疑的です。

しかしながら、そもそも時代の要請や利用者のニーズがなければいかなるサー ビスも成立しません。上述したように、さほど、あるいはまったく思い入れの ない故人の納骨を立場上請け負わなくてはならない場合など、「供養」という 概念を飛ばしても物理的にお骨を処理してしまいたい、というケースは少なく ありません。住まいや働き方などと同様、納骨に関してもその捉え方は時代や ライフスタイルの変遷とともに変わっていくのもまた必然であり、加えて、宗 教法人の経営が年々深刻の度を増している事実を踏まえると、檀家さん以外に 向けてのご供養のメニューのひとつとして、「請われれば応じ」、程度のスタ ンスを構えておくことは、ありなのかもしれません。

ちなみに、筆者の寺で同様のサービスを始める気はまったくありません。檀家 さんであればもちろん、一般の方から飛び込みで電話をいただいたとしたら、 「永代供養墓にお納めすることは可能です、ただしお骨はご自身の手で当山の 墓所までお持ちになり、納骨の儀式にもご同席をお願いいたします」というお 答えをすると思います。


(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)