宗教アカウンタント通信No.72

○高野山参拝


○高野山参拝

11月の下旬に高野山に行き、諸堂を参拝してまいりました。筆者は真言宗の僧侶ではあ りますが、古義真言宗の総本山である高野山ではなく、同じ和歌山県でも岩出市に位置 する根来寺を源流とする新義真言宗の系譜に連なる宗派に所属しており、修行や教学研 修において高野山に赴き現地で何かを学ぶカリキュラムは存在しません。その関係で恥 ずかしながら齢五十を超えて初めての高野山入りでありました。 結論から先に申し上げますと、一般庶民から武士、果ては皇室に至るまで、高野山が12 00年の長きにわたり幅広い信仰と信奉を集めていた事実を十分すぎるほど感じることが できました。

 

具体的には、奥の院で見られた、徳川、石田、上杉、武田などありとあらゆる戦国武将 の墓所、あるいはUCC、日産自動車、パナソニックなど数々の企業の従業員墓所の存在。 これらのお墓のほとんどは実際に遺骨が納められているわけではありませんが、ほとん どがきっちりと管理され、墓所としての体をなしています。高野山が長きにわたり日本 中の人々から貴ばれてきた事実を感じるとともに、「そこにお骨が納められているこ と」が必ずしもご先祖供養の場所の必須条件というわけではないことを再認識し、今後 の寺院経営のヒントになるかもしれない、と現実的な思考も頭を巡りました。

 

また高野山は地震や台風の被害がない分、落雷による火災に何度も遭遇しており。歴史 の重みを感じさせるもろもろの建物も実は江戸や昭和になってから再建されたものだっ たりします。現在公開されている豊臣秀次の「自刃の間」も一度焼失しています。ただ それでも経蔵や鐘楼堂を含めた数々の建物はいわば「真言密教の品格」を感じさせるに 十分な威容を誇っているように思えました。赤色に塗られた大塔の中に鎮座する大日如 来、および各菩薩が構成する立体曼荼羅は特に圧巻。昭和初期に再建されたものなので 歴史的価値はそれほどでもありませんが、とにかく圧倒的な大きさ、スケールインパク トの霊的効能についても改めて考えさせられました。こちらも今後の寺院経営に何がし かのアイディアを与えてくれそうです。

 

さて、確固たる理論的支柱を保持しながら生きながらえてきた宗教というものは、建物 が焼けようとも天下人や国家によって弾圧されようとも、、一般生活者からの信頼を受 け、しぶとく、したたかに時代と折り合いをつけて生き残り、政治や社会システムの変 遷を乗り越えて千年以上も持続していくものだという厳然たる事実を今回目にして、本 当に心が震えました。古義と新義の違いはありますが、筆者も真言密教の伝承者・布教 者の端くれとして、即身成仏を根幹とする弘法大師の教えを、自分なりにかみ砕いて檀 信徒さんその他の皆さまに説いていかなければという思いを新たにいたしました。

 

皆さまよいお年を。来年も、再来年も、十年後も百年後も、世界中が平和でありますよ うに。


(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)