宗教アカウンタント通信No.73

○終の棲家


○終の棲家

あけましておめでとうございます。本年も本メールマガジンをよろしくお願いいたします。

 

 私事で恐縮ですが、実母が昨年12月に91歳の誕生日を迎えました。3月に肺炎で入院して以来9か月、足腰も弱り、寝たきりの状態で年を越しました。正月に一時帰宅させることも考えたのですが、誤嚥のリスクゆえに口から食物も取れない状態が続いており、点滴だけで栄養を摂取する生活を続けている現状を鑑みると現実的な選択とは思えませんでした。そして、いささかの申し訳ない気持ちを抱えながらも、病院で新しい年を迎えてもらいました。

 

 さて、「おひとりさまの最期」などの著書で知られる社会学者の上野千鶴子氏は、昨秋あるビジネス誌で「訪問介護・訪問看護・訪問医療の3条件が満たされ、プラスアルファの経済力があれば最期まで自宅で過ごすことは可能である」「ホテル並みの設備があろうと施設や病院は収容所」「子ども世代は、自分が老後に施設に入りたいかどうかと胸に手を当てて考えてみてほしい」などと、昨今の「現役世代の負担を考えると独居の高齢者は施設へ入居、そしていよいよとなったら病院へ」的な風潮を舌鋒鋭く批判しています。

 

 筆者は僧侶であると同時に臨床宗教師(死期が迫った患者さんやご遺族、高齢者の方等に対して、宗教や宗派にかかわらず、また布教伝道をすることもなく、公共性のある立場からの専門的な心のケアを行う宗教者)として、サービス付き高齢者向け住宅に何度も足を運び、入居者の方とお話をさせていただいています。多くの入居者の方は表情も明るく、他の入居者やスタッフの方とコミュニケーションを上手に取りながら生活を楽しんでおられ、時折訪ねてこられるお子さんお孫さんのことも笑顔でお話してくださいます。もちろん我々に対して気を使っていただいていた部分はあろうかと思いますが、 恒常的に他者と接する環境に身を置くことが心身の健康にプラスの効果を与えているのだろうと推測することはできました。

 

 仏教の根本の思想は「物事にこだわらないこと、執着しないこと」です。高齢者の住まいについても「どちらがいいのか」などと汎用の正解をつきつめて考えることなく、それぞれの事情に応じ、関係者がよく話し合ったうえでその都度判断すればよいのではないかと、筆者は考えます。むしろその「話し合う」という過程そのものに大きな意義があるのではないか。そして遺産相続に関しても同様に、「まず節税ありき」ではなく、譲る人、譲られる人が気持ちよく財産を受け渡しできるような方法を一緒に考える。FPとしてはそのように心がけて相談者へのコンサルを行っていきたい、と、改めて思いました。


(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)