宗教アカウンタント通信No.79○将来、社会から求められる僧侶・住職とは〇将来、社会から求められる僧侶・住職とは 筆者は真言宗の僧侶であり自坊の住職を務めるかたわら、臨床宗教師(宗教 的素地をベースに、グリーフケアを含むメンタルケアを行う宗教者)としても 活動しています。 先日その取材に見えた宗教学専攻の大学院生に「将来、臨床宗教師の役割は どうなっていくと思いますか」という趣旨の質問を受けました。 それに対して筆者は「将来、一般生活者の宗教や宗教者に対する評価や期待 がどのように変容しているか」、「宗教者が現在の立ち位置をどの程度維持し ているか」、という二つの変数にあてはまる値がまったく見えていない前提で、 (宗教者に包含される)臨床宗教師の役割などまったく想定できない、という 答えを返し、驚かれました。彼は、「臨床宗教師の役割はもっと高まっていく だろう」、という答えが筆者から聞かれることを想定していたように思えまし た。 そこで今回からは「一般生活者の宗教や宗教者に対する評価や期待」を想定 するよりどころとなる、「将来、社会から求められる僧侶・住職の姿」につい て、考えてみます。 さて、少し乱暴な言い方をしてしまうと、将来、僧侶・住職は、 ・家族や親戚の葬儀・法事に際して心のこもった読経、法話を行い、あたたか い供養となるサポートをしてほしい(「宗教的儀礼の専門家」)。 ・家族の心の悩みに丁寧に向かい合い、宗教的知識をベースにアドバイスをし てほしい(「こころの相談の専門家」)。 のどちらか(もしくは両方)の役割が求められることになるのではと、筆者は 考えます。前者は現在の僧侶・住職、後者はとりわけ臨床宗教師に、主に求め られている役割・資質と言えるかもしれません。 私が上述した大学院生の問いに答えられなかったのは、前者(「宗教的儀礼 の専門家」)、後者(「こころの相談の専門家」)とも、その役割が宗教者に 求められなくなる可能性を考えたためです。前者はすでに「直葬」という、宗 教者を介在させない葬儀のかたちが普及しており、都心では3割の葬儀がこの 形式で行われているといわれます。 また、後者については臨床宗教師の知名度や役割は一般に普及しているとは 言えず、筆者の周囲の僧侶・住職(同資格の保有有無を問わず)を見ても、「 悩み事をかかえた人の相談相手」として一般生活者から評価を得ている例は、 率直に言って多いとは思えません。 それでも、筆者のような未熟者であっても、檀信徒さんの法事で読経、法話 を行った後に「いいお話をしていただきました」と言っていただけることはあ りますし、臨床宗教師として宮城県や福島県の仮設住宅を訪れた際に「お坊さ んに話を聞いてもらえてよかった」と感想を言っていただいたこともあります。 我々が気を引き締め、ひとつひとつの読経、法話、傾聴を丁寧に行うことによ り、社会から何らかの役割を委ね続けていただけることは決して望み薄ではな いと、感じています。 社会がいかに変容しようとも、「宗教的儀礼の専門家」、「こころの相談の 専門家」この二つの資質の少なくともどちらか、できれば両方を兼ね備えた僧 侶、住職は一定の役割と存在価値を持つのではないか。現在の筆者はそのよう に考えています。 次号に続きます。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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