宗教アカウンタント通信No.80○将来、社会から求められる僧侶・住職とは(2)〇将来、社会から求められる僧侶・住職とは(2) 前号では、社会がいかに変容しようとも、「宗教的儀礼の専門家」、「こころの相談の専門家」、この二つの資質の少なくともどちらか、できれば両方を兼ね備えた僧侶、住職は一定の役割と存在価値を持つのではないか、と現在の筆者は考えていることを申し上げました。 この国における「宗教的儀礼」の存在意義については、筆者はもちろん永続していくことを希望しています。毎年お彼岸やお盆の時期に、檀家さんの手により生花で埋め尽くされる墓所を見ていると、それぞれのご家族の中に、ご先祖様を供養する行動がルーティンとして根付いていることが伺われ、それは厳密には純粋な仏教思想に基づいた行動とは必ずしも言えないかもしれませんが、墓地管理者でもある宗教者としてはきわめてありがたく受け止めております。 反面、都市部における直葬(ちょくそう、またはじきそう)と呼ばれる、「宗教や宗教者を絡ませないご葬儀」の割合が増え、3割を超えている、と言われています。いわば、葬送儀礼が宗教的儀礼から切り離されている例と言えます。菩提寺を持たず、知っている僧侶が居ない方が主にこの方式を選択しているものと思われますが、特に地方の方にしてみると「僧侶のいない葬儀」はきわめて違和感の強いもののようで、ご葬儀の現場で喪主様と親族が口論になるケースも少なくないと聞きます。とはいえ、直葬という形式自体が普及していること自体、我々の平素の努力、特に一般社会に向けての情報発信の不足の結果であり、寺院のWebサイトやSNS等を通じて、個々の宗教者、僧侶がその個性を周知し、「うちは菩提寺がないが、ネットで面白い(もしくは真摯な、誠実そうな)坊さんを見つけたからこの人に頼んでみようか」という構図が一般的になるような方向を指向するべきでは、と考えます。 先日、檀家さんではない方のご葬儀に出仕したのですが、故人が好きだったあるJポップのバンドの軽快な音楽をBGMにしてお棺を先導し、霊柩車までお導きする、という初めての経験をしました。いささか風変わりではありますが、カジュアルなご葬儀、明るいご葬儀、その人なりのユニークなご葬儀、という流れから我々は疎外されないようキャッチアップしていく必要がありますし、「Jポップと真言密教は相いれない」などと門を閉じることなく、社会との融和を常に意識し、頭を柔軟にしてご法務を行うことを心がけていきたいと思います。 「こころの相談の専門家」については、次回考えます。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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