宗教アカウンタント通信No.88○社会規範と市場規範〇社会規範と市場規範 行動経済学。ご存知の通り、通常の経済学が前提としている「人間は合理的 に行動する」という概念を否定し、人間の行動の非合理性に着目した経済学で す。その行動経済学の名著、「予想通りに不合理(ダン・アリエリー著、早川 書房刊)」の中に、以下のような人間の行動原理に関する調査結果が報告され ています。 数年前、全米退職者協会は弁護士に対して一時間30ドルという低報酬で「 退職者の相談に乗ってくれないか」と依頼したところ、弁護士たちは断りまし た。しかしその後、同協会は弁護士たちに「困窮している退職者の相談に無報 酬で乗ってくれないか」と依頼したところ、圧倒的多数の弁護士がこれに応じ た、ということです。 この、従来の経済理論では説明のつかない2つの行動の差異を解くカギは、 「社会規範」と「市場規範」という用語です。前者は、われわれの社交性や共 同体の必要性と密接な関係にある規範で、例えば、友人や同僚からの頼み事に 応えるようなものがそれにあたり、何か見返りを期待したり、すぐさまお返し をしなければならないといったことはない、人との社会的関係や、思いやりを 重視する『社会的な世界』であると著者は語っています。 一方、市場規範に支配された世界はまったく別物で、給与、価格、利息など、 市場とのかかわりが意味をもち、この世界では、働いた時間には、必ず報酬で 報いなければならない、言わば、「金銭でものごとを捉える『金銭的な世界』」 であるそうです。 この2つの規範が衝突するとやっかいなことになります。社会規範が支配し ている世界に市場規範が入り込むと、社会規範が吹っ飛んでしまう。つまり上 述の例ですと、社会規範をベースにした提案は人は受け入れる(無償でも要請 を受ける)が、市場規範が入り込んでくる(そのような選択肢が入り込んでく る)とそれに支配され、要請を受け入れがたくなる(有償でも要請を受けない ことがある)ということです。 宗教者にもこれと似たような状況が存在します。宗教者の場合、上述の社会 規範は「宗教者としてのミッション(使命)」となります。つまり、ご縁のあ るどなたかが「宗教者としての自分」を必要としているとなれば、基本的には 対価の有無を問わず駆けつけ、使命を果たします。ご葬儀や法事のお布施は定 価ではなく、あくまでお気持ちを申し受けます。 また筆者は臨床宗教師の資格も保持しているのですが、この臨床宗教師の活 動は「布教や伝道を目的とするのではなく、高度な倫理に支えられ、相手の価 値観を尊重しながら、宗教者としての経験をいかして、苦悩や悲嘆を抱える方 々に寄り添う」ものであり、基本的に無報酬で活動します。 しかしながら、一定の収入が見込めなければ宗教法人の経営が成り立たず、 ゆくゆくはお墓やご遺骨をお預かりしている檀信徒さんにご迷惑をかける結果 に至ってしまうこともまた事実です。それゆえ、市場規範をある程度意識せざ るを得ません。ご葬儀のお布施に関しては目安となる金額を提示します(念の ため繰り返しますが定価ではありません。檀信徒さんであっても先方のご事情 次第で柔軟に対応します)。 簡単に言うと、宗教者としての倫理感と、宗教団体経営者としてのビジネス マインドの折り合いをどのようにつけるか、といったテーマになるでしょうか。 一定数の墓所と檀信徒さんを有し、経営には支障ないレベルのご法事の数を 確保する、あるいは物販や貸席料等の収益事業で収入基盤を確保する。そのう えで個別の檀信徒さんのご事情も最大限配慮して宗教的儀礼に携わる。そんな あり方がとりあえずの落としどころではないかと考えます。引き続き思いを巡 らせていきます。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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