宗教アカウンタント通信No.93○改めて檀家制度を考える(2)〇改めて檀家制度を考える(2) 前回に続き、檀家制度について考えてみます。 今年のお盆も、多くの檀家さんがお墓参りのために寺を訪れてくださいまし た。拙寺をはじめ、大部分の寺院が墓所を持ち、その墓所の一区画一区画を 永久に使用する権利を檀家さんに貸しています。この制度により、数十年に わたって寺や住職と檀家さんは結びつきを維持し、主に年会法要や葬儀など の仏事を通して関係を保ってきたわけです。 ところが近年、檀家制度を廃止する寺院が出てきました。代表的な例が埼 玉県北部にある、禅宗のある寺院です。ここの住職は非常に先進的な試みを 行うことで知られているのですが、報道によれば彼は「寺院と人は本来、自 らの思想や信条、宗教観によって自由に結びつくべきであり、それを妨げて いるのが檀家制度と気づいた」のだそうです。つまり、「うちの菩提寺はこ こだよ」と有無を言わさず親や祖父母から指定されてきた習慣自体がおかし い。檀家は自由に寺を選べてしかるべきである、と。 彼は檀家さんの猛反対を押し切って2012年に檀家制度を廃止。信徒制度を 設立して「本当にこの寺と縁を結びたい人」に改めて手を挙げてもらうとと もに、永代供養墓の販売に注力。ゆうぱっくを利用して全国からご遺骨を送 ってもらい永代供養墓に納骨するスキームを確立しました。同時にご葬儀の お布施の金額を下げ、寺院会計の透明化を図り、収支を公開、旧来の檀家さ んは信徒さんに移行しました。その結果、新しいご縁が増え、檀家制度が存 続していた時代に比べて売り上げは4倍になったとのことです。 彼は自分の寺院の「顧客層」を全国に広げ、批判を恐れずに新しいマーケ ティング戦略を実践しました。例えば、ご遺骨を郵送で受け付ける、という スキーム自体きわめてトリッキーであり、ご納骨のときくらいはご遺族が現 場に立ち会うべきだ、という立場に立てば「不謹慎」「そのような勝手な依 頼を寺が受けるのはいかがなものか」と言われてもおかしくない方式です。 しかしながらこの方式は次第に普及し、「送骨」という呼称までつき、現在 は全国で約40ほどの寺院・霊園が受け付けているようです。 彼がビジネスの才覚に長けていたことが、この寺院の現状につながったこ とは疑いないでしょう。誰もいない新しいフィールドに出ていくということ は、当然のことながら、周囲の意見に耳を貸さず、すべて自分で戦略や戦術 を考えて実行していかねばならないわけで、「僧侶と檀家さんのみがプレイ ヤーとして存在している既存のフィールド」で育ってきた筆者をはじめ、多 くの僧侶たちは同じ事をやろうとしてもできなかったであろうと思います。 彼が宗派からなにがしかの注意を公式に受けたという話は聞いていません し、新たなる寺院の形としては「あり」だと思います。しかしながら昔なが らの寺檀関係にはそれなりの良さがあります。拙寺には、祖父母の時代から 懇意にしていただいてきた檀家さんもおられます。筆者の長男が小さいころ から目をかけてくださり、本山での修行を終えて僧籍を取得した時には涙を 流して喜んでくださった方もいます。拙寺の宗派の教義はご存じなくても、 地域に代々伝わる新盆供養の流儀などは筆者よりよくご存じな方もいます。 そこには事業計画や採算管理よりも優先されるべき何かがあるように感じま す。個人的には、宗教法人の規模の拡大を図るより、そういった方たちとの 健全な関係を維持していきたい。そして、万一の時には心をこめてご供養さ せていただける僧侶でありたい。長男に代替わりしても変わりなくそれを続 けていられる寺であり僧侶でありたい。そう思います。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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