宗教アカウンタント通信No.97〇除夜の鐘〇除夜の鐘 あけましておめでとうございます。今年も本メールマガジンをご愛読いただ きますよう、よろしくお願い申し上げます。 今年のお正月も例年同様、元旦から多くの檀家さんがお墓まいりにいらっし ゃいました。拙寺のある南関東地域は寒いながらも好天に恵まれ、特にお子さ ん連れのご家族の姿が目につきました。さて、年末年始の寺の代表的行事と言えば言うまでもなく「除夜の鐘」とい うことになると思います。古いものを取り除くという意味で大晦日に煩悩の数 だけ鐘を撞き、新しい年を迎えるというおなじみの儀式ですが、一昨年あたり からこの行事の様子が様変わりしつつある、と報道されるようになりました。 具体的には、主に ・参拝者の高齢化、減少 ・近隣住民の苦情(騒音問題) のふたつの要因により、鐘を撞くのをとりやめる、あるいは大晦日の昼間に鐘 を撞くよう時間変更する、という寺院が増えてきたというのです。 私も幼い時から先代の住職である父に「大晦日の23時45分を回ったら鐘 を撞く」と言われて育ち、少し前までそれを実践してきました(現在は諸事情 により鐘は撞いておりません)ので、今回の報道にはかなりな違和感を覚えま した。 しかし調べてみると、大晦日という日にちには上述したようにそれなりの根 拠があるものの、深夜という時間帯にはあまりよりどころはないことがわかっ てきました。「大晦日の夜に107回、年明けと同時に108回目を撞く」と いう、一部で言われている流儀もいわば俗説のひとつであり、正式なルールも デファクトスタンダードも特にないらしく、そうであれば参拝される方のご都 合や近隣住民の方々の思いを無視してまで「暗黙のしきたり」に固執すること はなかろうという考えに至りました。 寺の鐘の音を「騒音」と感じる方が増えてきた(らしい)という現状には正 直、寂しさを覚えますが、そもそも信教の自由はありますし、寺院や仏教に対 する好感も嫌悪感も人それぞれです。宗教者は衆生を教化する特権階級である、 などという思い上がりはきれいに捨てて、檀信徒さんや地域の皆様と共に暮ら し、助け合いながら生きることを考えたい。宗教者や宗教法人の進むべき方向 性を模索するうえで、今回の除夜の鐘の話はきわめて示唆に富んでいる、と感 じました。 (宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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