宗教アカウンタント通信No.98


〇僧侶のエンターテイナー化について


〇僧侶のエンターテイナー化について

 皆様のご記憶にも新しいことと思いますが、昨年秋に福井県内の40代男性 僧侶(浄土真宗本願寺派)が僧衣で車を運転して交通反則切符(青切符)を切 られた問題で、福井県警は先月、違反事実が認定できなかったとして、反則金 の支払いを拒んだ僧侶を書類送検しない方針を明らかにしました。県警交通指 導課は「当時の状況などを改めて精査したところ、証拠の確保が不十分だった」 としています。

 この件はあらましが非常にわかりやすく、誰でも感想を述べられる類の話題 でしたので、テレビのワイドショーでもさんざん取り上げられました。当時の 筆者の感想は「決まっている社会のルールには従おうよ、反則金くらい払おう よ」というものでした。
結果的に「その場で警官が適用した判断がルールから逸脱しており、僧侶の運 転スタイルも、反則金を払わなかった行為も、まったく問題なかった」という 結論になりましたが、それはそれで県警の判断ですし(都道府県によって反則 の基準が異なることには驚きましたが)、個人的には今後も安心して僧衣で運 転できることに安堵を覚えました。

 気になったのは議論の中で世に出てきた「僧衣でできるもん」というハッシ ュタグをつけた多くの僧侶によるSNSへの動画投稿です。その多くは「改良 服」という略式の僧衣を着た若手僧侶がひとりで出演し、縄跳びやらジャグリ ングやら楽器演奏やら、さまざまなパフォーマンスを披露しておりました。要 するに「僧衣を着ていてもこれだけ自由に手足が動くんだよ」というアピール でした。これがまたメディアに連日面白がって取り上げられたのですが、ワイ ドショーのコメンテーターさんたちは笑っているだけで「なるほど僧衣は自由 に手足が動かせるものなんだね、運転にも支障はないね」などの議論の本質に 踏み込んだコメントはほとんど聞かれませんでした。それも道理です。それら の動画は「人は僧衣でも手足が器用に動く」ことではなく、「その僧侶は僧衣 でも手足が器用に動く」ことを示すに過ぎないものであったからです。

 例えば、私は僧侶ですが、僧衣であろうが平服であろうが、縄跳びもジャグ リングも楽器演奏もできません。ですからあの手の動画は、「僧衣の着用が運 転に差し支えるものではない」ことの証明にはまったくなっていないと感じま した。言い方はよくないかもしれませんが、事例に便乗した「エンターテイナ ー僧侶」の体のいい自己PRにしか見えませんでした。

 もちろん、お寺なり僧侶なり仏教なりに興味を持ってもらうための工夫を個 々の宗教者が凝らすこと自体を否定するものではありません。今後経営悪化の 一途をたどることが予想される寺院の生き残り戦略のひとつとして住職個人の 特徴、アドバンテージを積極的に発信していくことは重要であると思っていま す。
しかしながら、僧衣を着ての縄跳びやジャグリングがその一環であるとは。筆 者は思えません。楽器演奏であればせめて仏教歌を演奏するとか、「Aさん」 でなく「僧侶のAさん」としてのアイデンティティをPRしていただきたいと 思います。

都内にボードゲームの企画・制作を得意としている知人の僧侶が居ます。彼は これまで「御朱印あつめ」「檀家−DANKA−(寺院経営ゲーム)」「浄土 双六ペーパークラフト」など、まさに仏教者ならではの視点と発想でさまざま なゲームを世に出しています。僧侶のパーソナリティを活かしたエンタメ系社 会貢献であり、仏教への関心を深めてもらうのにも役立つ、理想的なケースだ と思っています。筆者はファイナンシャルプランナーの資格を持ちマネーを中 心とした人生相談の仕事も多少しておりますが、もう一歩踏み込んだ「宗教と 一般社会の橋渡し」ができないか、日々模索しております。


(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)