宗教アカウンタント通信No.99〇墓参の意義〇墓参の意義 春のお彼岸が近づいてまいりました。拙寺の墓所にも例年同様、多くの方が お墓参りにお見えになることと思います。 ところで先日、ある異業種交流会で、30代前半の男性(介護関連サービスに 従事・独身)に聞かれました。 「お墓参りってなんのためにするのですか?自分は10年くらいご先祖のお墓 に行ってないんです。いやお墓は都内にはあるんですが、なんとなく足が向か なくて」 僧籍を取得して35年、住職に就任して18年経ちますが、正直、初めて聞か れる質問でした。 筆者は50代ですが、我々から上の世代は皆、わけもわからず年に何度かは幼 い時から親や祖父母に連れられてご先祖のお墓に行き、雑草を取り、墓石を磨 き、お花とお線香を供えて手を合わせていました。 確かにそこには「それをしなければいけない確たる理由」などというものはな かったようにも思います。ただ漠然と理解していたのは、「ここの墓に眠るご 先祖様がいなければ、自分はこの世に人間として生を受けていない、だから感 謝しないと」という思いです。先日の30代男性へもこの思いをコアにした答 えを返しました。 ただ一方において、 ・現実的にご先祖様の遺骨はその墓に納められていても、こちらの話を聞いた りこちらに向けて話したりすることはできない。 ・祖先信仰はおもに東アジアの習俗であり、欧米においてはほとんど存在しな い。 という事実もあります。 つまり、先祖崇拝は人類不変の倫理でもでもなんでもないわけです。 そう考えると、「先祖を敬わなくてはいけない理由がわからないし、先祖の骨 に手を合わせてもなんら現実的な意味はない」という人がこれから増えても、 それは「けしからん」などと一刀両断に切り捨てられるものではない、という 気がするのです。実際、何年か前に「私のお墓の前で泣かないでください、そ こに私はいません」という歌詞の曲が大ヒットしたことがありましたし、毎日 のように墓所を見ている人間にとっては、檀家さんそれぞれのお花のあがりか たが以前より寂しくなっているような気は、正直しています。 加えて昨今における、あらゆるライフイベントについて効率、合理性、コスト パフォーマンスを追求し、あり方を見直そうとする社会の風潮も手伝って、即 効性のある結果が期待できるわけではないお墓参りの必要性や意義に疑問を持 つ人は増え、上述の質問をしてくる人は今後増えてくる可能性が高い気がしま す。 しかしながら、効率だけで行動を選ぶならすべての意思決定はAIに任せればい いだけの話です。また、行動経済学の世界においては「人間は経済合理性に基 づいて意思決定をしているわけでは必ずしもない」という理論が成立していま す。 自分たちが上の世代から教わった「ご先祖様のお墓に手を合わせてご供養し、 今日自分がここにあることを感謝する」という習慣はしっかりと評価して、下 の世代に継承していくべきである、と考えます。そのためにも宗教者は「ご先 祖様のお墓参りをするのは当然です」と言い切るだけでなく、なぜそうしなけ ればいけないのか、そうしたほうがいいのか、を丁寧に一般の方々、特に若い 世代に向けて説いていく義務があるのではないかと、改めて感じました。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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